ハンドボールをわが国に紹介したのは大谷武ーであった。1922年(大正11 年)の大日本体育学会夏季講習会でHandball Spiel として教授した。 大谷武一は,1920年(大正9 年)ベルリンの地で,初めてハンドボールと いうものをみた。ベルリン地区選手権チームクラブ, Turn und Sportverein Spahdau von 1860 を訪れた大谷は,特に婦人チームがハンドボールに興じ ているのを見た。彼はこのゲームが,全身的運動であり,サッカーと異なり特 に女性のためのスポーツとして好適であると考えた。さらにまた,人間の自 然な動き(走・跳・投)が中心であるので,児童に行わせるのに適している と体育的側面からの価値を評価していた。大谷武ーが11人制ハンドボールの ルールを書物に著したのが1925年(大正14年)であった。1926年(大正15年) 学校体操教授要目にスポーツ教材としてとりあげられ,学校体育の中で発展 の基盤をもった。 競技としての発展はなかなか見られなかった。1940年(昭和15年)の東京 オリンピックの際にハンドボール競技かとりあげられるとのことで,その2, 3年前から急激な普及がみられるようになった。1938年,協会が創設された。 また大学チームができ, リーグ戦が開始されるなどして日本ハンドボール界 の碁礎か作られた。
戦後は特に高校界に広く普及していった。それまでの日本ハンドポール界 はすべて11人制で行われてきたが,1952年初めて7人制の試合か行われ,7 人制の試合も各地で行われ始めた。1957年に女子と中学校がまず7人制に一 本化された。1961年の第4回男子7人制世界選手権,1962年第2回女子7 人 制世界選手権に参加し,世界の情勢をまのあたりにし, 11人制の衰退を確認 して,1963年から日本におけるゲームをすべて7人制に一本化した。
7人制に移行して,着実な発展を遂げていった。特に1976年のモントリオ ールオリンピックでは男女出場を果した。しかし1980年代になると,男女と も中国・韓国のアジア諸国かめざましい躍進をしてきている。今後いっそうの日本の奮起か期待されている。